旧三国峠・空峠

神格化したクラシックルート

ニューサイクリング 1999年1月号(Vol.37 No.415)にすごい記録が載っている。 99年新春エッセイ「忘れられない思い出」の特集の中に掲載されている『旧三国峠〜浜平ルート/初踏破の思い出』がそれだ。

本文より
そのルートは地図にはまったく記載がなくサイクリストは勿論のこと近年人が辿った情報が皆無であったからである。加えて伊勢湾台風(!)で壊滅状態になったという高橋氏の言葉により、半ばその存在は神格化していた。

執筆者の糟谷氏は、事前にあらゆる情報を集め、浜平側からの下見調査の後、昭和55年の5月に単独でこのルートに挑戦している。 信濃川上駅から自転車で走り初め、旧三国峠から県境尾根の北側にかすかに残る旧道に入る。凄まじい倒木帯を越え、持参したロープを使って痩せた岩稜をほぼ垂直に2,3メーター降下。三点支持で十数メートルにおよぶ難所を登り詰める。不明瞭な浜平への分岐では、1時間におよぶルート探索の後、ルートを解明したのだった。

通常の登山でもかなりの篤志家向きのルートだが、この場合、話は山岳サイクリングであるところがすごい。私は、何度も何度も読み返し、当時の状況を想像するが、その難易度は別格で、自分もいつか挑戦してみようとは、とても思えなかった。

幻の空峠

このルートに登場する峠は、旧三国峠ともう一つが空峠だ。峠の名称は、その近辺の地名にちなんで○○峠と呼ばれることが多いが、この峠はどうもそうではないらしい。
「群馬の峠」にも空峠の記述がある。あるにはあるが、しかし、峠の確定までには至っていない。文中に記されている「1618高地」も実際には1730の勘違いのようでその記述自体もはっきりしてしない。
糟谷氏の記録では、1730ピークから北に派生する尾根を辿りその先にある1543ピークの手前の鞍部を空峠としている。そこは高天原神座宮が祀られているなんとも雰囲気の良い場所だ。
さらにもうひとつの空峠説がある。唯一このルートを信濃川上から浜平まで歩いた記録が掲載されている「西上州の山と峠:佐藤 節 著」(すでに絶版となり今では古本屋でしか手に入らない)によると県境尾根から浜平方面へ降りる分岐点付近を空峠としている。
もっともこの地点も現在(平成)と当時(昭和)の位置は若干違う場所のようである。文中には「神流川最奥の村落浜平から、曲流する無人の本谷筋を10余、更に、高度差500をあえいで達するこの稜線を、三国峠と思って登りついた旅人は、目の前に更に高差200にも及ぶ、高く険しい三国山を仰いで途方にくれたということです。そしていつしかこの高みは嘘峠(そらとうげ)の名でよばれるようになってしまった・・・」と、なんとも説得力のある記述がある。いずれにせよ糟谷氏が記した場所とも違う場所のようである。

極めて困難なルートの中にある、怪しくも神秘的な幻の空峠。それはどんな由来なのか。本当の空峠はどこなのか。

朽ち果てる林用軌道

林用軌道
このルートの見所は、まだまだある。かつて神流川の源流部から上野村の三岐まで、切り出した木材を運びだすために活躍していた林用軌道の存在である。
糟谷氏が初踏破した頃は、すでにその役目を終え使用されていなかったが、軌道そのものはまだ当時のまま残っていた。発踏破の思い出の文中にも自転車を担いで林用軌道を歩く写真がある。素ぼりのトンネルが実に印象的だ。
それ以後、このルートに挑戦した諸先輩方の話では、時が経つにつれこの軌道跡もところどころ崩れ落ち、そこを通過するのに大変な苦労を強いられたそうだ。当時は、まだ林道もなく、崩落していてもそこを通るしか他に道はなかったのだ。
私の手元に大切に保管されている昭和41年3月発行の十石峠の地形図には、その軌道跡がしっかりと記載されている。

5月の集中ラン

きっかけは突然訪れる。なんと、山岳サイクリング研究会の集中ランの集合場所に旧三国峠が候補としてあがったのだ。集中ランで決められるのは集合場所と日時のみで、あとは各自好きなルートを辿って集合し解散するオープン参加の月1回のミーティングだ。
 早速その噂を峠越え仲間のF田さんに伝える。
「行きます。絶対!こんなきっかけがないとなかなか行く気になれませんからね」
まったくだ。こんなきっかけがなければ、とてもその気になれない。
「ところで、やるとしたら5月頃ですかね」
「1日で踏破するならやはり5月になるでしょうね」
そう、5月以外あり得ない。4月より前はまだ雪が残っている。6月は梅雨で却下。真夏は藪と雷で敬遠され、秋では日が短すぎ、冬は論外。
「日の長さが幸いし、どうにか明るい内に浜平の宿に辿りつけた」と記されているように、糟谷氏も初踏破したのは5月だった。

5月第2土曜日、午前11時、旧三国峠集合!

日時が決定されれば、あとはもう行くしかない。新緑の空峠を夢見ながら準備に取りかかった。

浜平ノート

事前に集められる情報といえば1/25000地形図、西上州の山と峠及び群馬の峠に記載されている紀行文。そしてニューサイクリングに掲載された糟谷氏のエッセイ。地形図と山と高原の地図「西上州」版には、このルートの記載はない。インターネットでも、県境尾根を縦走した記録を見つけることはできたが、浜平側への記録は皆無だった。
そうこうしている時に、西上州のエキスパート、O前さんからガツンと言わせる強力な情報をいただいたのだった。それは、今や幻の資料となった、あの「浜平ノート」だった。正確に言えば、浜平ノートを開いた状態のものをデジタルカメラで撮影した超お宝画像だ。

-- 5月2日快晴 旧三国から浜平へ コースタイム、信濃川上7:15、浜平18:28 --

そこには見開き2ページにわったって糟谷氏の初踏破の時の記録が、詳細なルート図とともに克明に書き記されている。興奮をおさえつつ、早速、地形図にルートを書き込んだ。これでコース全体の概要がつかめた。後は、現地調査へ行くのみである。

※浜平ノートとは、西上州における山岳サイクリストの聖地として崇められた浜平鉱泉に置かれたサイクリングの情報交換ノートで、その世界では知る人ぞ知るノートであった。残念ながら浜平鉱泉は廃業してしまい、ノートの現物も今は見ることはできない。私は山岳サイクリング業界では新参者であるから残念ながら浜平の宿に宿泊する機会もなく、浜平ノートの現物を見る機会もないまま現在に至っている。

峠越えの準備

下見

林用軌道跡
4月に入り、休日を利用してF田さんと浜平側から歩きでコースの下見に出かけた。実は、本番の1週間前に、O前さんと今回の集中ランの世話役であるM井さんとコースの下見に行く予定になっていたのだが、しかし、もしこの日に何らかの事情で下見に行けなかったとしたら・・・・とてもじゃないが下見なしで、いきなり挑戦なんてとんでもない!万全を期して、とりあえず行ける時に何度でも行っておくことにした。

浜平側は、当時と様相は異なり神流川沿いに造林小屋跡近くまで林道が延びている。林用軌道の起点である造林小屋跡を発見すれば、旧三国へのルートのとりつきもわかるはずだ。
「あれが軌道跡ですよ」すでに何度かこの地を訪れているF田さんが沢の向こう岸を指さす。浜平から源流部へ向け神流川に沿って林道を走ると車窓の左側に、わずかに軌道の痕跡を確認できるのだった。

造林小屋

造林小屋 ゲート付近に車をとめ、沢への降下点を探しながら林道を歩く。林道から本流を見て、右から支流が流れ込んでいる付近、そのあたりからどうにか沢に降りられそうだ。もろい斜面を土砂を崩さないよう注意しながら、なかば強引に沢に降りる。
そこから沢沿いに奥に進むと、さび付いた鉄のレールが草の中に埋もれていた。ところどころではあるが軌道も残っている。さらにその先へ進むと、造林小屋があった。
作業をしながら寝泊まりしたであろうその小屋には、風呂場の跡も残っている。家族を思いやる安全標語が、木材の切り出しで活気に満ちた当時へとタイムスリップさせてくれる。

「これだけで満足しちゃいますねえ」
いかん、これ以上ここに居ると、ここで本当に満足して、その先へ進めなくなってしまいそうだ。今日は、ここから旧三国峠まで行かなくてはいけなかったのだ。

本流からはずれ南東方面の谷を枯れ沢沿いに登り始めると途中、立ち木に赤いペイントの道標らしきものを発見した。文字はかろうじて「旧三国峠」と識別できる。道型らしいものは見あたらないが、辿ってきたルートはここで間違いなさそうだ。
頃合いを見計らって右手に見える尾根にとりつく。石がごろごろしていて極端に足場が悪くなってくる。普通に歩いても難儀なのだから自転車を担いでとなるとかなり苦労しそうだ。尾根に出ると保安林の標識がある。保安林の標識は、糟谷氏が踏破した頃から今も変わらずにその場所にある尾根上の唯一の目印なのである。
ここまで、行きは部分的にかすかな道型を発見する程度だったが、それでも帰りにはある程度まで納得のいく旧道トレースができた。

高天原神座宮が祀られる峠

空峠
尾根沿いの道は明瞭になり、まもなく高天原神座宮が祀られる空峠についた。ここは風の通り道らしく、お宮は強風で吹き飛ばされていた。
さっそく元の位置に戻しておく。
とりあえずの「空峠」。
記念に、ニューサイクリングに載っていた写真と同じ場所で我々も写真を撮った。
「ここまで来られてほんとに満足ですねえ」
思わずここでビールを取り出し乾杯しそうになってしまう。
いかん、いかん、これ以上ここに居ると、ここで本当に満足して、その先へ進めなくなってしまいそうだ。旧三国峠までまだ先は遠いのだ。

ここから先、県境尾根まで、部分的に踏み跡が錯綜するが、概ねしっかりしていた。特に県境尾根付近は、平成になって新しく切り開かれた道がついていた。
昭和の時代には、道はもう少し進行方向の右側にまいて行ったようだが、現在判別は不可能に近い。
 県境尾根まで出ると、そこには浜平への分岐が、明確に示されていた。以前は分岐の発見にかなり神経をすり減らしたと聞いたが、今はそんな心配もいらなくなってしまったようだ。
さて、ここから旧三国峠までが、このコースのハイライトである。三点支持が必要な鋭い岩峰が待ちかまえているのだ。

県境尾根は、歩く人もそれなりにいるようで、ルートも明瞭であった。webや山岳雑誌でもその山行が時折公開されているように、情報も少なくない。 自転車を担いだ場合、どのルートをとれば安全で確実か?あれこれと本番の時を想定しながら県境尾根を進む。
天気は上々、尾根の先には三国山が見える。

岩峰
山サイ研の諸先輩方の中には、すでにこのコースを越えられた方々が何名もいるが、今回の集中ランに参加する人は、大半が初めてと思われる。
「よし、ここはひとつ、みんなを行く前から楽しませてあげよう」
同行のF田さんにモデルになってもらい、わざと一番迫力のある場所で、高度感のある写真を撮っておいた。この写真とともに下見の様子を、山サイ研のメーリングリストに流すために。山サイ研殿堂入りのこのコースに何人の人達が参加してくるのか、今から楽しみだ。

旧三国峠に11時着。造林小屋から約3時間の行程だった。ここだけなら、三国山山頂からならほんの2、3分、誰でも容易に到達できる。峠には木製の古い道標が残っており、当時の雰囲気を保っていた。

三国峠のプレート
そこには、安中山の会がつけたブリキのプレートもあるではないか。 プレートには「旧三国峠からソラ峠を経て浜平へ」と記されている。 さすが安中山の会。このルートを歩くエキスパート集団がここにもいたのだった。
峠からは南に、明瞭な小径が川上村へと伸びている。「群馬側の下見もできたし、長野側はまともな道、本番が楽しみですね」
ここから国道まで、長野側の旧道を一通り歩いておけば良かったものを、この時はまともな道にすっかり安心してしまって峠で引き返した。そのおかげで本番の時に素敵なオプショナルツアーを体験できたのだが。

1回目の下見を無事に終えて、本番の1週間前には予定通り再度、O前さんとM井さんとの山歩きも楽しんだ。すでにこのルートをパスハンターで踏破しているO前さんに当時の貴重な話を聞きながらの山歩きは実に興味深いものであった。

幻の空峠を目指して

標高8,000円地点

信濃川上駅
5月第2土曜日、10時01分 信濃川上駅着。
F田さんも私も仕事の都合で、金曜日の夜からは出られず、当日の朝自宅を出ることになった。一番早い設定で信濃川上駅に着くのが10時01分。旧三国峠の集合時間が11時。59分で集合場所まで移動するには、それなりの手段を取らないと間に合わないので、今回は途中までタクシーを利用することにした。
駅には他にもタクシー利用の登山客が何組かいた。都会でタクシーを拾うようなわけにはいかないので、ここでは必ず事前予約が必要だ。

タクシーは、旧三国峠目指して快調に進む。メーターも快調に料金を刻んでいく。さて、どの辺までタクシーで行くか。時間と料金とのせめぎあいの場である。そこそこ標高もかせいだようなので、料金が8,000円になったところで降りることにした。一人4,000円のお支払い。

集合時間まであと25分。
素早く自転車を組み立て、スタート。旧道のとりつき点を探しなら坂道をハイペースで走る。国道から旧道のとりつき点にはこれといった目印はなく、地形図に鉛筆で書き込んだ1本の線だけがたよりである。 いつもなら慎重に確認するのだが、この時は無理矢理「ここが取り付き点に違いない」とばかりに踏み込んでいったのだった。

時間に余裕がない時というのは、だいたいこのようなもので、案の定そこは本来の尾根からひとつ右にずれていた。 当然、あの明瞭な小径はいつまでたっても現れず「ここは違う」と確信したときはすでに集合時間5分前。「え〜い、こうなれば尾根付近まで登ってしまおう」とばかりに自転車を担いで、あたふたと尾根を目指すのだった。
集合時間に少しくらい遅れたからといって、何がどうなる訳ではないのだが、焦る心を抑えているつもりが、まったく逆で、なんだか舞い上がってしまい足下もおぼつかない。落ちている枝に足をひっかけて転ぶは、息は上がるはで、なんとも情けない状況である。
「もしかしたら我々はとんでもない場所に出てしまうのではないだろうか」
「旧三国峠からのスタートが大幅に遅れれば、浜平までの踏破は断念するしかないか」
「コースの下見までしておいて、まさか集合地点に行けずにリタイヤだなんて・・」
「ああ、あと千円つんでおけば、こんなはずでは・・」
思いは勝手に、最悪の方向に突き進む。 それでもなんとか峠の方向を見定め、トラバース気味に左へ進むと、本来辿るはずだった旧道を左下方に見ながらようやく旧三国峠に到着。時刻は11時15分。

すでに10名近くの仲間が集合しており、いつものように盛り上がっていた。
小淵沢で駅寝して小海線始発で来たO根さん、車利用ですでに前夜から現地入りしたご一行様等々、集合場所までのアプローチ方法も様々だ。
峠では、いつものように缶ビールを飲みながらなごやかに、、、に?えっ、こんなコースでもビールかよ!しかもロング缶もいるぞ!(汗)この後のコースの状況を知っていると、さすがにビールは飲む気にはなれないんだけど。 否、事前に状況を知っていたとしてもこの図は変わらないか。恐るべし○サイ○。 F田さんと私は「いつもとは違う」ということで、小海線の車中で早めにビールを飲んでおいた。いかにも五十歩百歩的作戦ではあるが、五十歩の差は大きいはずである。

岩峰を越えて


11時55分。いよいよ浜平へ向けて出発。
峠からほぼ水平に本来の峠道が延びている。それとは別に少し上にも道がついている。2つの道は県境尾根の1796ピークの先で合流している。糟谷氏が「すさまじい倒木帯を越えて」と記述したのは本来の道の方だ。ここは下見の時に歩いてみたが、すでに歩く人もほととんどいないようで、行く手を阻む倒木や錯綜する獣道で難行苦行を強いられるのである。

当日は、本来の旧道ではない方の道(三国山直下を巻く道)に自然に流れていった。旧道にこだわりたい気持ちも大いにあるが、これから先、時間との勝負になってくる。F田さんと私は、多少不本意な気持ちを残しつつ時間を優先したのだった。
はたして林道に出るまで何時間かかるのか。
県境尾根
車利用組は浜平付近に設置したベースキャンプが今日のゴール地点だが、F田さんは浜平から神流川沿いに国道を走り、可能であれば埼玉の自宅まで自走予定。私は塩ノ沢峠直下の湯ノ沢トンネルを抜けて上信電鉄の下仁田駅まで走る予定でいる。
ゴール地点がそれぞれ違うので、各自のペースも異なってくる。F田さんと私は、徐々に集団から抜けだし、先行させてもらった。

日向の休場
浜平分岐まで県境尾根上には大きな岩峰が2つ。山サイ研内では1796ピークの先を第1岩峰、1730ピークを第2岩峰と呼んでいる。第1岩峰は、昔から日向の休場という名称で呼ばれている。その昔、狩りに来た猟師達がここで一休みした場所なのだそうだ。
その日向の休場に、今、数台の自転車が休んでいる。 猟師は鉄砲を、山岳サイクリストは自転車を、どちらも一番大切な道具を肩に担いで移動する。出没エリアと時期も極めて近いものがある(なるべくお会いしたくないのだが)。このような視点で見ると非常に似たような業界であることがよくわかるのである。

岩峰
県境尾根を、自転車を担いでずんずん進む。集団はばらけてはいるが、一体感がある。予想よりもかなり早いペースで進んでいる。先ほどのように集合時間に間に合わず焦りのハイペースとは違う早さであり、気持ちにも余裕がある。この感覚は、ランニングハイのようではないか。右肩に担いだ自転車はすでに身体の一部になり、岩峰も一歩一歩慎重かつ大胆に、風のように移動する。

県境尾根浜平分岐13時01分

林道に復帰
「この時間なら櫓峠を越えて自宅まで走れるかも知れない」 集中ランは現地集合現地解散、仲間と集団で走る必要は全くないので、先が長いF田さんには、ここから単独で先行してもらうことにする。
「F田さんご無事で。櫓峠を越えて自宅まで頑張ってね」手を振って見送った。その次に先の長い私も、全員が到着するのを待たず13時20分、F田さんの後を追い再スタートさせてもらった。
深い深い原生林の中に単独で分け入ると、その幽玄な雰囲気に飲み込まれそうになる。こんな時は、ファイト一発、自転車を担ぎ直し気合いを入れるのであった。

空峠、保安林の標識、ごろごろと足場の悪い斜面を順調にこなしていった。先ほどと変わらない良いペースだ。私の前後には、同じ目的を持った仲間が同じように移動している。一人になると、さらに繋がりを強く感じるものである。

枯れ沢沿いにかすかに残る旧道を降りていくと、いよいよ神流川源流が目に入ってきた。林道までもう少しだ。
旧三国峠からここまで自転車での乗車距離は合計約15メートル。それ以外は全て担ぎとなる最高の山岳サイクリングを堪能できた。しかし、まだゴールは先だ。ここからさらに慎重に歩を進め、造林小屋の脇を抜け源流を渡る。
14時48分。無事林道に出ることができた。

それまでの緊張感は開放感に変わり、自転車は肩から地面に降ろされた。この後のトンネル走行に備え、ライトと尾灯をザックから取り出し、自転車に装着する。ここからは自転車が本来持っている性能をいかんなく発揮して走るのみである。 16時00分、途中、湯ノ沢トンネル入り口で一休みしていると、浜平のベースキャンプからH松さんの運転する車で移動してきたO根さんS庄さんが合流。ここから総勢3名で下仁田まで凱旋走行となった。

東陽軒のビール

下仁田駅
浜平ベースキャンプで、川上村にデポした車の回収に向かったI井さんとH松さんの帰りを待つ仲間が焚き火と宴の準備をしている丁度その頃、我々3名は下仁田町にたどり着いた。
後は電車に乗って帰るだけだ。その前に下仁田駅近く、東陽軒のビールである。店に入って早速、生ビールで乾杯し東陽軒自慢の餃子を注文する。餃子をたいらげ、そろそろ2杯目の生ビールに突入しようかと思っている、そんな至福の17時30分、浜平ベースキャンプでは全員集合となり野外で盛大な宴会が始る。
この頃、体力の限界に挑んでいるF田さんはついに櫓峠に到達。がんばれF田さん!もうすぐビールが飲めるぞ!
2杯目のビールがそろそろなくなりそうな18時00分、F田さんもきっと今頃は無事自宅に帰還したに違いないと確信した我々は、これで集中ランは完結したと、喜びの3杯目を注文したのだった。

「限界かなあと思いましたが、何とか櫓峠を越えて18時に自宅にたどり着きましたよ」20時00分、幸福な酔っぱらいになって自宅に着くとほどなく、ほろ酔いのF田さんから電話があった。いやはやお疲れ様でした。