旧三国峠から空峠へ (1)

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旧三国峠から空峠を越えて上野村の再奥の地、浜平へ【2005.05.14】

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神格化したクラシックルート

ニューサイクリング 1999年1月号(Vol.37 No.415)にすごい記録が載っている。 99年新春エッセイ「忘れられない思い出」の特集の中に掲載されている『旧三国峠〜浜平ルート/初踏破の思い出』がそれだ。

本文より
そのルートは地図にはまったく記載がなくサイクリストは勿論のこと近年人が辿った情報が皆無であったからである。加えて伊勢湾台風(!)で壊滅状態になったという高橋氏の言葉により、半ばその存在は神格化していた。

執筆者の糟谷氏は、事前にあらゆる情報を集め、浜平側からの下見調査の後、昭和55年の5月に単独でこのルートに挑戦している。 信濃川上駅から自転車で走り初め、旧三国峠から県境尾根の北側にかすかに残る旧道に入る。凄まじい倒木帯を越え、持参したロープを使って痩せた岩稜をほぼ垂直に2,3メーター降下。三点支持で十数メートルにおよぶ難所を登り詰める。不明瞭な浜平への分岐では、1時間におよぶルート探索の後、ルートを解明したのだった。

通常の登山でもかなりの篤志家向きのルートだが、この場合、話は山岳サイクリングであるところがすごい。私は、何度も何度も読み返し、当時の状況を想像するが、その難易度は別格で、自分もいつか挑戦してみようとは、とても思えなかった。

幻の空峠

このルートに登場する峠は、旧三国峠ともう一つが空峠だ。
峠の名称は、その近辺の地名にちなんで○○峠と呼ばれることが多いが、この峠はどうもそうではないらしい。
「群馬の峠」にも空峠の記述がある。あるにはあるが、しかし、峠の確定までには至っていない。文中に記されている「1618高地」も実際には1730の勘違いのようでその記述自体もはっきりしてしない。
糟谷氏の記録では、1730ピークから北に派生する尾根を辿りその先にある1543ピークの手前の鞍部を空峠としている。そこは高天原神座宮が祀られているなんとも雰囲気の良い場所だ。
さらにもうひとつの空峠説がある。唯一このルートを信濃川上から浜平まで歩いた記録が掲載されている「西上州の山と峠:佐藤 節 著」(すでに絶版となり今では古本屋でしか手に入らない)によると県境尾根から浜平方面へ降りる分岐点付近を空峠としている。
もっともこの地点も現在(平成)と当時(昭和)の位置は若干違う場所のようである。文中には「神流川最奥の村落浜平から、曲流する無人の本谷筋を10余、更に、高度差500をあえいで達するこの稜線を、三国峠と思って登りついた旅人は、目の前に更に高差200にも及ぶ、高く険しい三国山を仰いで途方にくれたということです。そしていつしかこの高みは嘘峠(そらとうげ)の名でよばれるようになってしまった・・・」と、なんとも説得力のある記述がある。
いずれにせよ糟谷氏が記した場所とも違う場所のようである。

極めて困難なルートの中にある、怪しくも神秘的な幻の空峠。それはどんな由来なのか。本当の空峠はどこなのか。

朽ち果てる林用軌道

林用軌道このルートの見所は、まだまだある。かつて神流川の源流部から上野村の三岐まで、切り出した木材を運びだすために活躍していた林用軌道の存在である。
糟谷氏が初踏破した頃は、すでにその役目を終え使用されていなかったが、軌道そのものはまだ当時のまま残っていた。発踏破の思い出の文中にも自転車を担いで林用軌道を歩く写真がある。素ぼりのトンネルが実に印象的だ。
それ以後、このルートに挑戦した諸先輩方の話では、時が経つにつれこの軌道跡もところどころ崩れ落ち、そこを通過するのに大変な苦労を強いられたそうだ。当時は、まだ林道もなく、崩落していてもそこを通るしか他に道はなかったのだ。
私の手元に大切に保管されている昭和41年3月発行の十石峠の地形図には、その軌道跡がしっかりと記載されている。

5月の集中ラン

きっかけは突然訪れる。なんと、山岳サイクリング研究会の集中ランの集合場所に旧三国峠が候補としてあがったのだ。集中ランで決められるのは集合場所と日時のみで、あとは各自好きなルートを辿って集合し解散するオープン参加の月1回のミーティングだ。
 早速その噂を峠越え仲間のF田さんに伝える。
「行きます。絶対!こんなきっかけがないとなかなか行く気になれませんからね」
まったくだ。こんなきっかけがなければ、とてもその気になれない。
「ところで、やるとしたら5月頃ですかね」
「1日で踏破するならやはり5月になるでしょうね」
そう、5月以外あり得ない。4月より前はまだ雪が残っている。6月は梅雨で却下。真夏は藪と雷で敬遠され、秋では日が短すぎ、冬は論外。
「日の長さが幸いし、どうにか明るい内に浜平の宿に辿りつけた」と記されているように、糟谷氏も初踏破したのは5月だった。

5月第2土曜日、午前11時、旧三国峠集合!

日時が決定されれば、あとはもう行くしかない。新緑の空峠を夢見ながら準備に取りかかった。

浜平ノート

事前に集められる情報といえば1/25000地形図、西上州の山と峠及び群馬の峠に記載されている紀行文。そしてニューサイクリングに掲載された糟谷氏のエッセイ。地形図と山と高原の地図「西上州」版には、このルートの記載はない。インターネットでも、県境尾根を縦走した記録を見つけることはできたが、浜平側への記録は皆無だった。(現在は、この集中ランに参加されたS庄さんのサイトと当サイト、2つの記録が公開されることになるのだが)
そうこうしている時に、西上州のエキスパート、ビールO前さんからガツンと言わせる強力な情報をいただいたのだった。それは、今や幻の資料となった、あの「浜平ノート」だった。正確に言えば、浜平ノートを開いた状態のものをデジタルカメラで撮影した超お宝画像だ。

-- 5月2日快晴 旧三国から浜平へ コースタイム、信濃川上7:15、浜平18:28 --

そこには見開き2ページにわったって糟谷氏の初踏破の時の記録が、詳細なルート図とともに克明に書き記されている。興奮をおさえつつ、早速、地形図にルートを書き込んだ。これでコース全体の概要がつかめた。後は、現地調査へ行くのみである。

※浜平ノートとは、西上州における山岳サイクリストの聖地として崇められた浜平鉱泉に置かれたサイクリングの情報交換ノートで、その世界では知る人ぞ知るノートであった。残念ながら浜平鉱泉は廃業してしまい、ノートの現物も今は見ることはできない。私は山岳サイクリング業界では新参者であるから残念ながら浜平の宿に宿泊する機会もなく、浜平ノートの現物を見る機会もないまま現在に至っている。

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